情報産業とは何か? [梅棹忠夫]
- 作者: 梅棹忠夫
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 1999/04/01
- メディア: 文庫
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- 情報産業論
- 三つの時代の生物学的意味p54
- 農業の時代は内胚葉、工業の時代は中胚葉、精神産業の時代は外胚葉
- 外胚葉は脳神経系や感覚系になるものであり、それらの機能を拡充が時代を特徴づける中心課題である
- ただし、外胚葉の時代になっても内胚葉や中胚葉は基礎条件としてしっかりとのこり相対的な重要性が減るに過ぎない
めっちゃうまい比喩だと思う。初期発生は系統発生を繰り返すといったことからもう一歩外に飛び出している。外胚葉時代を具体的に言えば脳がインターネットで、感覚がユビキタスといったところだろうか。
- 中胚葉時代の経済学p56
- 工業の時代から精神産業の時代に代わるなら、工業的経済から精神産業的経済へと転換していく
- いまの経済学は結局どれも中胚葉産業時代の経済学に過ぎないと思う。特に価格決定の理論は明らかにその対象を商品としている。
- 精神的生産物、例えば著作権料とか、特許料とか、原稿料、講演料、演奏料などの「情報」の値段は決められない。
- 情報の価格設定p59
- まだ中胚葉が優勢だが外胚葉が優勢になれば、それを中心とした経済が生まれる
- いまは、情報が擬似商品と扱われているが、逆に商品が擬似情報になるかもしれない
- 生産に必要な労働をはかる事もできないし、原価計算もできない、需給関係でも決まらないので非常に難しい
新しい経済圏を考えれそうな気がする
- お布施の原理p60
- お布施の額はその二つの人間の社会的位置によって決まり、お坊さんが提供する情報や労働とは無関係、ましてはお経の経済的価値では決まらない。
- 電波の価格も放送局の格とスポンサーの格によって決まる
- 格とは社会的公共的性格を相互に認めるということ
- 社会的、公共的性格を前提としないで、個別的な経済効果だけを問題にしている立場からは、情報産業における価格決定理論は出てこない
最近話題の企業の社会的責任や社会的企業家とかに通じるものがあるのだろうか。