知の創出のコモディティー化

「知の時代」とか言われて久しいわけだが、「頭のいい秀才くん」たちが一人で机に向かい一人でコンピュータに向かいその結果生み出される「a lot of the most valuable products of the Information Economy」の価値は、「次の10年」で間違いなく下落していく。そういう実に「皮肉な事態」が到来するのである。「頭のいい秀才くん」タイプの人間は、世界中を見渡してみたら、あるいは世界中がつながってみたら、想像していた以上にたくさん存在していたのである。ここを直視しなければならない。むろん大天才は別だ。

 インターネットの時代になるまえではあったが、理系にもかかわらず私の周りには大天才も頭のいい秀才もいっぱいいたので、知の創出では食っていけないのを肌で感じていた。その環境がインターネットによってさらに助長されたのだろう。今となってはその環境のおかげで他のことを考えたと思える。。。とはいえ、そんな私でもまた研究をしてますが。。。

多くの人にとって、「知を創出」したら、それを「対人能力」をもって自ら味付けしてカネに変えなければ「飯が食えない」時代が到来する。

確かに、この発想は今研究をしている方にはないものだろう。だからこそ、私自身は研究の場に身をおきながらも、この発想をもってそれを実践することには大きな意味があると思っている。やはり研究といっても人の役に立って(つまりおカネにかえて)こそのものであろう。