情報産業とは何か? [梅棹忠夫]
- 作者: 梅棹忠夫
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 1999/04/01
- メディア: 文庫
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- 情報経済学のすすめ
- 情報の取引習慣の確立p191
- 情報は提供する側も受ける側も、いまひとつしっくりきていない。情報の売買、移転によって経済価値をうむという、その移転の仕方がわかない。
- いまのところは、ハードが先行、つっぱしっている。まさに情報産業の本質部分が後にのこされている
- ただ、産業界も情報をいれることによってハードあるいはものの価値があがるということが多少わかってきた。
- 大阪には繊維産業が多いが量ではかって売ろうとしている。京都は例えば西陣織と書くだけで値段をあげる。大阪より京都のほうが情報産業的。これこそが文化
- 使用価値は買う前には良くわからない。ただ、日本では世界では珍しく正札や定価があり、大衆社会の商習慣が良くできている。情報産業はまだ、あいまい性、予測不可能性があるけれども、徐々によくなる。
文化に経済をいれるというのはおもしろい。これまでは、けっして交わらないとおもわれていたものが、情報化によっていよいよと交わるのだろう。ただ、そのときには、今の価値の基盤である通貨は、新たなものが必要なのではないだろうか?
- 情報の文明学
- 情報の意味p202
- 人間は、ある情報をえることによって、次に取るべき行動をきめる。情報が行動に影響を与えるのである。
- 情報のプラグマティックな意味をもっともよく表しているのが、軍事情報や企業情報である。
- しかし、情報には利益をもたらすプラグマティックのものとは別に、ラジオやテレビのような無意味な情報もおおい。
- コンニャク情報論p204
- コンニャクは栄養価がない。栄養価がないからといって価値がないわけではない。おなかを通過することで満腹感を与えたり、掃除をしたりするなどの価値もある。
- 無意味な情報も同じようなもので、利益にはならなくとも感覚器官および脳神経系はおおいに緊張し活動する。つまり生物学的価値があるのだ。
- 情報とコミュニケーションp208
- コミュニケーションは、情報の送り手と受け手があって成り立つ
- 情報には、送り手も受け手もなくても存在しうる