コモンセンスの時間軸

集団でことをなすには、「状況を正しく理解する」「その状況に基づき正しい解を導く」と「その解の方向に進むべく、多くの人の力を結集する」というのは三つの段階があると思うのですが、
〜中略〜
でも、真ん中の「解をだす」ところは、大勢でわいわいやってもしょーがないことが多く、ここは「独立」「分散」「勝手」の方がよいってことでしょうか。

 chikaさんにコメントいただいた話の続きですが、このように時間軸を分けて「独立」「分散」「勝手」の必要性を考えるとしっくりくるような気がします。この場合は集団で事を成す(つまり企業的な)状況を分けていますが、もっと開かれた場で事を成す(事が成される?)状況では別の分け方ができるように思います
 「状況を解釈する」「その解釈に基づいて自分なりの考えを出す」「出てきた多くの考えを全体として解釈しなおす」という3つでしょうか
 まず、「状況を解釈する」ということですが、ここで理解ではなく解釈とつかったのは、どのような状況であっても正しいという事実があると考えるよりもそれぞれの人によって違った真実があるように思います
 つぎの「自分なりの考えを出す」というのも、まったく同様で正しい解というよりも、自分なりに論理的・感覚的に考えて確からしい考えであれば、正しくなくてもよいでしょう
 最後の「全体として解釈しなおす」というのも、結集することが必須なわけではなく、個人の解釈から全体の解釈へ視点を変えたときに何か新しい価値がうまれる(つまり事が成される?)と思えます
 このように考えると前の二つ「状況を解釈する」と「自分なりの考えを出す」というところに「独立」「分散」「勝手」が当てはまり、最後の「全体として解釈しなおす」というところに、梅田さんのブログにもあるように「意見集約のための優れたシステム」が当てはまり、その事例がGooglePagerankになるような気がします。つまり前の二つと後の一つでは、階層が違っているように思います。いかがなものでしょう?
 これを脳の研究に当てはめると、運動野は運動的に自分なりに判断し、視覚野は視覚的に判断し、とそれぞれ別のモジュールが独立して判断(処理?)していますが、全体としては前頭前野がワーキングメモリーとして解釈しなおしているように感じます。(ちょっと飛躍しすぎでしょうか。。。笑)その結果事を成すと。。。もう少し整理できたら、またまとめてみます